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青野慶久サイボウズ社長の経歴|大阪大学を選んだ理由と松下電工を3年で退社した真相を調査

ここでは、青野慶久さんという会社経営者のことを見ていきたいと思います。

 

青野慶久さんは、サイボウズという会社の社長でした。

それでは、青野慶久さんは、どういった経歴、学歴の人物だったのでしょうね。

最終学歴は大阪大学だったようですが、青野慶久さんが大阪大学を選んだ理由とは、いったい、どんなものだったというのか、調べてみました。

また、青野慶久さんは、かつて松下電工に勤務していたものの、たったの3年で退社していたとのこと。

青野慶久さんが松下電工を3年で退社した真相はどういうものだったのかについても、あわせて迫っていきましょう。

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1.青野慶久サイボウズ社長の経歴

青野慶久さんは、1971年6月26日、愛媛県の出身で、2020年7月現在の年齢は、48歳となっています。

青野慶久さんは、大学卒業後、1994年に、松下電工に入社。

松下電工時代には、BA・セキュリティシステム事業部営業企画部に所属しました。

しかし、その後、松下電工を退社して、1997年、サイボウズを創業し、独立。

当時の青野慶久さんは、取締役副社長という肩書きとなっています。

サイボウズの副社長としての青野慶久さんは、マーケティングを担当し、会社の発展を支えていきました。

それからは、サイボウズの事業企画室、海外事業を担当していくことに。

そして青野慶久さんは、2005年、サイボウズの代表取締役社長に就任したのです。

以後、サイボウズの社長として、2020年現在まで、15年にわたって活躍してきたのでした。

また、青野慶久さんは、サイボウズの事業だけではなく、執筆活動もしており、これまでに、『ちょいデキ!』、『チームのことだけ、考えた。』、『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』などといった著書を刊行しています。

さて、青野慶久さんは、こういったビジネス関係だけではなく、実に意外な面においても、非常に話題になっていたという人物なのでした。

それは、なんと、近ごろよく議論される問題の1つである、選択的夫婦別姓だったのですね。

青野慶久さんは、既婚者ですが、実は、結婚したさいに、嫁の姓を選択していて、本名は「青野慶久」ではなかったのでした。

そのため、「青野慶久」は通名で、生まれたときの姓を名乗れないのは不合理だということで、2018年、夫婦同姓は日本国憲法上の法の下の平等に違反するとして、日本政府に訴訟を提起していたのです。

あまりにも想像できないような問題だけに、おどろきますよね。

なお、青野慶久さんの提訴は、初の法律婚による男性が提起した夫婦別姓訴訟にあたるとのこと。

何はともあれ、青野慶久さんがこれから先において、納得できるような人生を送ることができればいいですね。

2.青野慶久サイボウズ社長の学歴

それでは、青野慶久さんの学歴は、どうなっていたのでしょうか。

大学は、冒頭でもお伝えしましたように、大阪大学でした。

大阪大学工学部情報システム工学科卒業だったのですね。

なお、高校は、愛媛県立今治西高校でした。

青野慶久さんの大学については、志望動機を次で見ていきたいと思いますので、ご覧ください。

 

3.青野慶久サイボウズ社長が大阪大学を選んだ理由

さて、青野慶久さんが大阪大学に入学したいと思った理由とは、何だったのでしょうか?

これには、実におどろくべきものがあったのでした。

青野慶久さんは、大阪大学を卒業していたわけですから、説明するまでもなく、大変優秀な人物です。

ところが、勉強ばかりしている、いわゆるがり勉だったのかというと、そうではなかったとか。

信じられないことに、塾にも通わなかったそうで、締め切り直前にやるという方法を作り出したというのですね。

大阪大学の受験においても、試験が行われる日から逆算していって、なんと、高校3年の10月になって、ようやく本格的に勉強しだしたとのこと。

さて、肝心の青野慶久さんが大阪大学に入学したいと思った理由なのですが、それは、自分の美学にエリート路線は合わないというものだったのでした。

そのため、東京大学や京都大学に進学しなかったというのですね。

大阪大学も、どう見てもエリートに違いありませんから、これだけ成功するような人は、やはり考え方が一般人とは違うのではないでしょうか。

 

4.青野慶久サイボウズ社長が松下電工を3年で退社した真相

大学もさることながら、松下電工を3年で退社したことも気になる、青野慶久さん。

その真相とは、どうなっていたのでしょうね。

もちろん、不祥事などではありませんでした。

松下電工では、社内ベンチャー企業をはじめたものの、これに満足できなかったというのですね。

そのため、松下電工の当時の先輩を社長にしたうえで、サイボウズを設立したといいます。

平穏な理由で、しかもサイボウズも成功できて、本当に幸いでしたね。

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青野慶久さんは、大学といい、独立といい、ビジネスといい、訴訟といい、とても起伏に富んだ人生を送っていました。

訴訟は大変だと思いますが、これからも満足のいく生き方をしてほしいですね。

青野慶久さんの活躍をこれからも注視していきましょう。

 

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