THE YELLOW MONKEYのボーカルで、ソロアーティストとしても活動中の吉井和哉さん。
2016年1月にはTHE YELLOW MONKEYが12年ぶりに再結成し、全国ツアーも話題になりました。
そこで今回は、THE YELLOW MONKEYのボーカル・吉井和哉さんの元妻や、現在の妻・眞鍋かをりさんとの関係・子供についてまとめてみました!
吉井和哉さん率いるイエモンも出る「FNS歌謡祭2019」出場者の面々は以下の記事で確認できます。
吉井和哉さんのプロフィール
まずは、吉井和哉さんのプロフィールから。
本名 | 吉井一哉(よしい かずや) |
バンドネーム | ロビン(Lobin) |
別名 | YOSHII LOVINSON |
生年月日 | 1966年10月8日(58歳歳) |
出身地 | 東京都北区(静岡育ち) |
身長 | 183cm |
血液型 | A型 |
趣味 | 釣り |
出身校 | 静岡市立安東中学校 |
東京都北区生まれの吉井和哉さん。
お父さんの昇さんが旅芸人をしていて、巡業先の静岡で出会ったお母さんと恋に落ちて生まれました。
旅芸人だったお父さんは吉井さんのことをとても可愛がって一緒に出かけ、小さい頃には梅沢富美男さんにだっこされたこともあるそうです。
化粧をして舞台に上がるTHE YELLOW MONKEYのスタイルは、そんなお父さんからの影響が大きいのだとか。
そんなお父さんが、26歳という若さで交通事故により亡くなってしまったのは吉井さんが5歳の時。
その後、お母さんの地元である静岡に引っ越し、18歳で上京するまで静岡市で過ごしました。
今のスレンダーな身体からすると意外ですが、小学校〜中学校はじめくらいの吉井さんはとても太っていたそうで、お母さんは本気で相撲部屋に入れようかと思ったことがあるそうです。
お母さんが叔母さん(お母さんの姉)に、「勉強もできないし相撲部屋に入れようかと思う」と相談しているのを聞いた吉井さんは「まずい・・・!」と焦ったのだとか。
静岡市立安東中学校を卒業後は、高校進学はせずに喫茶店で1年ほどアルバイトをし、社会人の厳しさを経験。
その後漠然と「俳優になりたい」と思い、バイトの先輩に誘われて上京し、丹波哲郎の「丹波道場」を訪れたという吉井さん。
しかしその日は日曜日で道場が休みだったことで、俳優になるのをやめてしまいました。
静岡時代からバンドを組みライブハウスにたむろするなど、バンド活動にも興味があった吉井さんは、バンドにベーシストとして参加しながら、アルバイトをして生計を立てていました。
THE YELLOW MONKEYのベース・廣瀬洋一(ヒーセー)さんと出会ったのも、18歳の頃。
1988年、22歳の時にTHE YELLOW MONKEYを結成し、ベースは廣瀬洋一(ヒーセー)さんで自身はボーカル・ギターへ転向されました。
THE YELLOW MONKEYと、メンバーの詳しいプロフィールについては以下の記事に詳しく確認可能。
2001年にTHE YELLOW MONKEYが活動休止して以降は、YOSHII LOVINSON名義でソロ活動を行っていましたが、2006年に現在の吉井和哉名義に戻しています。
ちなみにバンドネームの「Lovin」は、中学の頃に組んだバンドのメンバーから「“RATT”というメタル・バンドの『ロビン・クロスビー』に似てる」と言われたことがきっかけだそう。
ロビン・クロスビー(Robbin Crosby)さん
身長198cmという巨漢だったこともあり、長身の吉井さん(183cm)に似ていますよね。
「Lobin」という綴りは、本物の「Robbin」のスペルミスをそのままにしているんだそうですよ。
吉井和哉さんの元妻は?
吉井和哉さんは、TTHE YELLOW MONKEYのデビューと同時期に一般女性と結婚されました。
THE YELLOW MONKEYのデビューは1992年、吉井さんが26歳の時です。
デビュー前からバンド活動に励むも鳴かず飛ばず、デビューしてからもしばらくは月収10万円ほどしかもらえない吉井さんを支えた奥さん。
ふたりの間に1994年、長女が誕生しました。
THE YELLOW MONKEYが売れるようになってきたのは1995年頃。
それまでの3年間は、思うように売れませんでしたが、小さな子供を抱えた奥さんは吉井さんを信じて支え続けたそうです。
1995年1月にリリースした5thシングル「Love Communication」がスマッシュヒットとなり、そこから順調に人気に火がついていったTHE YELLOW MONKEY。
吉井さんと奥さんは3人の女の子と1人の男の子という4人の子供を持つ大家族になりました。
あまり生活感のないイメージの吉井和哉さんですが、実はとっても子煩悩。
「子供は好きですね。特に赤ちゃんは好きですねぇ。」と自叙伝でも語っていて、オムツ換えやミルクなど育児にも積極的に参加していたそうです。
2007年には、子供を自然の多い広い場所で育てたいという思いから、山梨県に河口湖と富士山を望む広大な敷地に建つ豪邸に家族で引っ越しました。
奥さんと子供4人が山梨で暮らし、吉井さんは東京で仕事をするという生活スタイルだったそうです。
しかし引っ越しから1年後の2008年頃、吉井さんと奥さんは離婚。
当時長女は中学2年という思春期の真っ只中で、吉井さんが家を去る時何も口をきいてくれなかったそうです。
また、当時まだ小さかった三女との最後のお風呂の時には、吉井さん自身つらくて泣いたそう。
そうですよね・・・、離婚ていうのは男女の問題ですが、それに伴って子供とも別れなくてはならなくなるんですもんね・・・。
子供を理由に離婚を踏みとどまる夫婦も多いと思いますが、吉井さんは離婚という道を選びました。
離婚の原因は、吉井さん自身が自叙伝で明かしておられ、他に愛人を作ってしまったからだそう。
旅芸人だったお父さんを小さい時に亡くして以来、寂しがりでひとりではいられないタイプだという吉井さん。
そんな吉井さんを奥さんは理解し受け止めていたのでしょうが、最終的には離婚に至ってしまいました。
「私は彼が好きだから離婚したんです。本当に幸せになってほしいです」
女性週刊誌に、のちにこう語った元妻。
夫婦のことは他人にはわかりませんが、養育費はもらえるとはいえ4人の子供を引きとって離婚というのは相当な覚悟が必要ですよね。
ちなみに離婚後も吉井さんはお子さんに会いに山梨の家を訪れ、良好な関係を続けられているそうです。
また、今年30歳歳になる長女が2015年に出産し、49歳という若さで初孫を持つおじいちゃんに!
とても孫のいるおじいちゃんには見えませんよね・・・!
吉井和哉さんと眞鍋かをりさんの結婚のなれそめ
吉井和哉さんと眞鍋かをりさんの交際が報道されたのは2012年。
それまで、離婚したことも世間には知られておらず、交際発覚→離婚発覚だったので、当初は「略奪愛」なんて言われました。
しかし実際には、吉井和哉さんと眞鍋かをりさんの出会いは2011年の秋頃とのことで、2008年に吉井さんが離婚してから3年も経ってからなんですね。
ふたりの出会いは、吉井さんがお友達と食事をしていた時に、そのお友達が眞鍋さんとも知り合いだったことで呼び出し、眞鍋さんが合流した席だと言われています。
もともと中学生の頃からTHE YELLOW MONKEYの大ファンだったという眞鍋さん、「イエモンの吉井さんといるんだけど来る?」なんて誘われたら行っちゃいますよね。
直接会って、吉井さんのことをますます好きになってしまった眞鍋かをりさんは、その後もTHE YELLOW MONKEYのライブ後に楽屋を訪れるなど猛アタックしたんだそう。
眞鍋かをりさんといえば、以前お笑いコンビ「麒麟」の川島明さんとの交際されていましたよね。
2007年6月に熱愛が発覚した眞鍋さんと川島さんですが、きっかけは川島さんの大ファンだった眞鍋さんがテレビで「物凄く好き」と本気で告白したことでした。
恋愛に対して積極的で、好きな男を見つけたら自ら求めて行くタイプと言われている眞鍋かをりさん。
川島さんとは2011年2月に破局し、ちょうどフリーだった時に出会った吉井さんにぞっこんになったみたいですね。
ファンだったアーティストとタレントさん・俳優さんが交際・結婚するパターンてけっこうあるんですよね。
上野樹里さんとTRICERATOPSの和田唱さん夫婦
石黒彩さんとLUNA SEAの真矢さん夫婦
ファンだったアーティストと結婚できるってほんと夢みたいですよね。
吉井和哉さんと眞鍋かをりさんは離婚危機?
2015年9月に婚姻届を提出し夫婦となり、2015年10月に第1子が誕生した吉井和哉さんと眞鍋かをりさん夫妻。
しかし、結婚当初から離婚危機報道が絶えません。
その理由の一つが、結婚のタイミング。
眞鍋かをりさんが自身のブログで結婚・妊娠を発表したのは2015年6月のこと。
しかし、後になって実際に入籍したのは9月だったということが発覚したのです。
お子さんが10月に生まれているので、臨月間近になるまで入籍していなかったということになりますよね。
このことから、「ギリギリにならないと入籍できない」「女遊びをやめたくないから」などと、吉井和哉さんに厳しい声が寄せられました。
離婚した元奥さんの元に思春期を迎える4人の子供がいるため、再婚には消極的だったという吉井さん。
それに対し、大好きなアーティストである吉井さんのDNAをどうしても残したかった眞鍋かをりさんにも、「でき婚に持ち込むなんて計算高い」と厳しい意見が。
この結婚発表・入籍・出産の一連の流れから、「すぐに離婚しそう」と言われているようです。
また、吉井和哉さんは2016年1月にTHE YELLOW MONKEYを再結成して以降、全国ツアーで家を開けることも多い日々。
オトトキ 2016年に復活したロックバンド・THE YELLOW MONKEYを追ったドキュメンタリー
2016年、フロントマン・吉井和哉の呼び掛けにメンバーが応え、「イエモン、サル年に復活」の記事が踊った。全国42公演のツアーが始まる。詳しくはこちら。
かたや眞鍋かをりさんは小さな子供相手に慣れない育児に奮闘しているようです。
吉井さんは家に寄り付かず、育児放棄しているという報道もあり、離婚危機説に拍車をかけています。
しかし、元はといえばTHE YELLOW MONKEYの大ファンだった眞鍋かをりさん。
小さい子供がいて落ち着かない環境で再結成後の忙しい活動をするよりは、少し距離を置いて仕事に集中してほしいという気持ちなのかもしれません。
ただ、「旦那が何もしてくれない。もう離婚しようかな」ふうと漏らしていたという証言もあり、多少不満はあるようですね。
さらに、2016年10月から眞鍋かをりさんが情報番組「白熱ライブ ビビット」にレギュラー出演することが決まったことで、「眞鍋かをりも育児放棄」とか「離婚への布石」などと言われています。
しかしレギュラーと言っても隔週木曜日のレギュラーということなので、言って見れば月に2回。
これで育児放棄とか言われたらたまったもんじゃないですよね・・・。
眞鍋かをりさんは他にも「ニッポン行きたい人応援団」にもレギュラー出演されていますが、こちらは収録なのであんまり叩かれないみたいですね。
また、女性自身の取材で「吉井さんとの夫婦仲は良好ですか?」と聞かれ、「子供がいるので答えられません。」と答えたことからも「良好なら『はい』って言えばいいだけなのに、言えないってことはうまくいってないのでは?」と憶測されています。
夫婦のことは夫婦にしかわかりませんが、テレビにレギュラー復帰することで少し気分転換になり、それによって夫婦仲も良い方向に向かうと良いですね。
ところで2015年に第1子が生まれている吉井さんと眞鍋さん夫婦ですが、2015年には吉井さんに孫も生まれているんですよね。
腹ちがいとはいえ、子供と孫が同い年で同じ学年って・・・すごいことですよね。
ちなみに、吉井さんはデビッド・ボウイを敬愛し、「僕はデビッド・ボウイになりたかった。もっと言えばデビッド・ボウイになるために、僕はTHE YELLOW MONKEYを結成したと言っても過言ではない」と発言しています。
デビッド・ボウイ(David Bowie)
そのデビッド・ボウイは1970年に結婚したアンジ―・ボウイとの間に1971年生まれの男の子(現在映画監督のダンカン・ジョンズ)が、1992年に再婚したマン・アブドゥルマジドとの間に2000年生まれの娘レクシーがいます。
ふたりの子供の年齢差は・・・29歳!
ダンカン・ジョンズは結婚が遅かったため、孫が生まれたのはデビッド・ボウイの死からちょうど半年後の2016年7月10日で、孫と子供が同い年とはなりませんでしたが・・・、吉井さんのパターンとちょっと似てますよね。
吉井和哉さんと眞鍋かをりさんの子供の名前・性別は?
最後に、吉井和哉さんと眞鍋かをりさんのお子さんの名前と性別を調べてみました。
しかし、やはり有名人同士のお子さんということもあり名前は非公表となっています。
これは子供に関しては一般人ですし、致し方ないことでしょう。
性別は、女の子だそうです。
正式に発表されているわけではないのですが、日刊スポーツに「女児とみられる第1子」と記載してあります。
これから情報番組などで発言の機会も増えますし、またご本人の口から語られるのを待つしかないですね。
以上、今回はイエモンの吉井和哉さんについてでした。
吉井和哉さんがボーカルを務めるTHE YELLOW MONKEYとメンバーについては以下の記事も要チェックです。
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結婚しても子供が生まれても再結成してもテレビ復帰しても「離婚、離婚」言われてなんだかかわいそうな気もしますが・・・、この先どうなるのか気になる夫婦ではありますね。
また何かわかったら追記しますね!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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