2004年7月7日に惜しまれながら解散してからも根強いファンの多いロックグループ・THE YELLOW MONKEY(通称イエモン)。
2016年1月に再結成し、16年ぶりに全国ツアーを行ったことが大きな話題になりました。
当時からのファンはもちろん、今でも新しくファンを惹きつける世代を超えて支持されるバンドのひとつですよね。
そこで今回は、イエモンの解散・再結成の理由(きっかけ)秘話や復活ライブのセットリスト(曲目)についてお送りします!
THE YELLOW MONKEYとは?
THE YELLOW MONKEYは1988年に結成されたロックバンドで、1989年12月28日に現在のメンバーで初のライブを行いました。
以後、12月28日は「バンドの誕生日」とされ、「メカラウロコ」という初期の楽曲をメインとしたライブを行うなど特別な日とされています。
バンド名の「イエローモンキー」は、欧米で東洋人に対して馬鹿にして呼ぶ時の蔑称。
ボーカル・ギターの吉井和哉さんバンド名を考えていた時に、自分のイニシャル「Y」のページを辞書でめくっていてたまたま目に留まった単語だったそうです。
洋楽へのコンプレックスがあったことや「ダサくてシニカル(皮肉っぽい)な名前にしたい」というコンセプトに合っていたため結成前から決めていたそうです。
1992年5月21日、「Romantist Taste」でメジャーデビュー。
1995年に発表した5枚目のシングル「Love Communication」は、ヒット曲を意識して作られ、オリコンチャートTop30のスマッシュヒットとなりました。
1996年7月に発売された10枚目のシングル「SPARK」は累計55万枚の売り上げを記録。
「SPARK」は、再結成後で15年半ぶりのTV出演を果たした際にも演奏されましたよね。
初の東京ドームコンサートを行うなど、人気絶頂の最中だった2001年に活動休止を発表。
活動再開をファンの願いもむなしく、2004年7月7日に解散しました。
解散の理由やきっかけについては、後の項で詳しくふれていきますね。
THE YELLOW MONKEY(イエモン)のメンバー紹介
THE YELLOW MONKEYのメンバーは4名で、1989年12月28日の初ライブ以降、解散後も現在も変わっていません。
ボーカル・ギター:吉井和哉
本名 | 吉井一哉(よしい かずや) |
バンドネーム | ロビン(LOVIN) |
生年月日 | 1966年10月8日(58歳歳) |
出身地 | 東京都北区(育ちは静岡市) |
身長 | 183cm |
血液型 | A型 |
趣味 | 釣り |
出身校 | 静岡市立安東中学校 |
THE YELLOW MONKEYでボーカル・ギターを担当している吉井和哉さん。
実際にはベースもドラムもピアノもキーボードも演奏できるマルチなアーティストです。
旅芸人をしていたお父さん(昇さん)が静岡巡業中のお母さんと出会って恋に落ち、生まれたのが吉井さん。
しかしお父さんは吉井さんが5歳の時に、26歳という若さで交通事故で亡くなっています。
その後はお母さんの地元・静岡で過ごし、18歳の時に家出をして上京。
22歳の時にイエローモンキーを結成し、売れるまでの数年は水商売のバイトをして生計を立てていた(浮名を流していた)そうです。
David Bowie(デヴィッド・ボウイ)が好きで、
「僕はデビッド・ボウイになりたかった。
もっと言えばデビッド・ボウイになるために、僕はTHE YELLOW MONKEYを結成したと言っても過言ではない。」
と話していらっしゃいます。
バンドネームの「ロビン」は、17歳の頃に組んでいたバンドで「アメリカの“RATT”というメタル・バンドの『ロビン・クロスビー(Robbin Crosby)』に似てる」と他のメンバーに言われたことに由来していて、「Robbin」がスペルミスでなぜか「Lobin」となったのだとか。
ロビン・クロスビー(Robbin Crosby)さん
おー、たしかに・・・分かる気がします。
THE YELLOW MONKEY結成前には、1986年にアーグ・ポリスというバンドでベーシストとして活動していましたが、THE YELLOW MONKEY結成後は主にボーカル・ギターとして活動されています。
プライベートでは、デビュー当時に一般女性と結婚、三女一男(4人)を授かりました。
しかし2012年に、タレントの眞鍋かをりさんとの熱愛が報道され、その際に離婚していたことが判明。
眞鍋かをりさん
離婚したのは2008年ごろで、離婚後も子供に会いに家族が住む山梨の家に戻っていたそうです。
吉井さんの長女は現在31歳歳で、なんと2015年春に出産し、吉井さんにとっての孫が誕生しているんです。
49歳で孫・・・!
若いおじいちゃんですよね。
そして2012年に交際が発覚した眞鍋かをりさんとは、破局報道もありましたが2015年6月に結婚を発表。
同年9月に婚姻届を提出し、10月に第1子が生まれています。
ということは・・・お孫さんとお子さんが同い年ってことですよね。
それはそれで不思議な縁を感じてしまいます。
孫が生まれた年に、またゼロから子育て開始ってどんな感じなんでしょう・・・人生2回味わってるみたいな感じですよね。
ベース:廣瀬洋一
本名 | 廣瀬洋一(ひろせ よういち) |
バンドネーム | ヒーセ(HEESEY) |
生年月日 | 1963年4月19日(62歳歳) |
出身地 | 東京都足立区 |
身長 | 176cm |
血液型 | O型 |
出身校 | 日本大学経済学部(中退) |
東京都足立区出身の廣瀬洋一さん。
バンドネームの「ヒーセ(HEESEY)」は、小学校2年生の時に担任の先生からつけられたあだ名に由来しているんだそうです。
13歳の時にKISSに出会い、ロックンロールに目覚めた廣瀬さん、中学生でバンドを始めベースを担当したそうですが、当初はベースを持っていなかったためにギターの下の絃4本を使って演奏していたのだとか。
そして、中3の時に高校生だと偽ってバイトしたお金で、念願のベースを購入したそうです。
その後、高校時代に始めたバンド「MURBAS」、のちに名称を変え「16LEGS」と、大学中退後も一貫してバンドのベーシストとして活動していましたが、1988年に解散。
ちょうどその頃、「イエローモンキー」というバンド名だけ決めてバンドがなかった吉井和哉さんに誘われ、THE YELLOW MONKEYに加入することになりました。
当時は吉井さんがベースを担当していましたが、廣瀬洋一の加入が決まったことで吉井さんはギターに担当変更(・・・って器用ですよね・・・!)。
THE YELLOW MONKEYでは一部の楽曲の作曲も行っています。
2001年のTHE YELLOW MONKEY活動休止中から2005年まで「HEESEY WITH DUDES」のボーカル&ベースとして活動し、その後は数々のアーティストのサポートメンバーやベースの講師として活動し、2009年以降は「TYO」のメンバーとしても活動していらっしゃいます。
おうちには4匹の猫ちゃんが。
モプちゃん・ミカンくん・ハナちゃん・ワカメちゃん!
かわいいですよねぇ。
猫を愛でるヒーセーさん、なんか想像できますね。
そして廣瀬洋一さんには、イケメンの息子さんがいらっしゃいます。
廣瀬誠さん(27歳歳)
グラフィティ所属のモデルさんで、雑誌「HR」のモデルとして2015年4月から活動しています。
身長は175cm。
2016年3月に高校を卒業し、大学に通いながら芸能活動をされているようです。
2015年には資生堂のCMにも出演。
女装が似合うイケメン男子としても話題になりました。
さすがヒーセーさんの息子さん、ビジュアルいいですよね・・・・!!!
資生堂CM High School Girl? メーク女子高生のヒミツ
先生が教室に入って一番最初にうつるのが廣瀬誠さん(メイクを最後に落としてずっと中央にいる男の子)ですね。
THE YELLOW MONKEYの再結成ライブツアーも観に行き、感想をツイッターで綴っておられます。
そうですよね・・・、子供である誠さんが物心つく時にはすでに解散してしまってたんですもんね。
いや、すごい人なんですよお父さんは!!!
廣瀬洋一さんにとっても、自慢の息子さんのようで、ツーショットも多く紹介されています。
こんなお父さんがいるってどんな感じなんでしょうね・・・!
ちなみに息子さんの誠さんはベースではなくドラムが得意なんだそうですよ!
ドラム:菊地英二
本名 | 菊地英二(きくち えいじ) |
バンドネーム | アニー(ANNIE) |
生年月日 | 1967年6月6日(57歳歳) |
出身地 | 東京都八王子市 |
身長 | 176cm |
血液型 | O型 |
出身校 | 桐朋中学校・桐朋高等学校・中央大学理工学部精密機械工学科 |
菊地英二さんは、中央大学理工学部1年生だった1986年に、お兄さんの菊地英昭さん(ギター)と一緒に組んでいたバンド「KILLER MAY」のドラマーとしてメジャーデビューしています。
3歳年上のお兄さんとともにエアロスミスに憧れ、ジョーイ・クレイマーのスタイルに影響を受けてドラマーを目指したという菊池英二さん。
大学1年でメジャーデビューしてからは、大学にほとんど通うことができなかったそうですが、大学3年の時に「KILLER MAY」が解散。
ご両親に学費を払ってもらったのだからという気持ちで、解散後に通い始め、6年かけて大学を卒業されています。
KILLER MAYが解散したからといっても、解散の年にすぐTHE YELLOW MONKEYに加入しているので、学業と音楽を両立させていたことには変わりないですよね。
大学では精密機械工学科で、精密機械の学んでいたそうで、日本には3箇所しかない学校のため就職にはかなり有利だったのだとか。
そのため、お母さんは「普通に就職してほしい」と思っていたんだそうです。
しかしバンドで食べていく道を選択、THE YELLOW MONKEYのメンバーとして2度目のメジャーデビューを果たしました。
お兄さんとはずっとバンドを共にしとても仲が良く、菊池家の実家も家族がいれば必ず一緒にご飯を食べる一家団欒の家庭なんだどか。
THE YELLOW MONKEY解散後は数々のアーティストのサポートメンバーを務め、2008年に「IG BITES」を結成してアニー名義での活動も再開されました。
バンドネームのアニー(ANNIE)は、ファミレスの「アニーズ」が由来で、愛称を決める際にアニーズで話し合っていたことからついたんだそうです。
プライベートでは元秋田放送アナウンサーの太田真希さん(現:タレント)と1999年に結婚。
お子さんなどの情報ははっきりと公表されていませんが、夫婦揃って吉井和哉さんのライブに足を運ぶ姿がファンに目撃されるなど、仲良い夫婦として知られています。
ギター:菊地英昭
本名 | 菊地英昭(きくち ひであき) |
バンドネーム | エマ(EMMA) |
生年月日 | 1964年12月7日(60歳歳) |
出身地 | 東京都日野市(育ちは八王子) |
身長 | 174.5cm |
血液型 | O型 |
好きな食べ物 | ビーフストロガノフ・春巻き・山芋 |
嫌いな食べ物 | ふき・ウニ |
出身校 | 日本大学文理学部応用地学科 |
東京都日野市出身のエマこと菊地英昭さん。
4歳まで日野市で過ごし、その後八王子に引っ越されました。
エアロスミスに憧れ、ギタリスト・ジョー・ペリーを敬愛しています。
日本大学文理学部応用地学科に在学中の1986年、ロックバンド「KILLER MAY」のギタリストとして弟の菊池英二さんと共に一度メジャーデビュー。
弟の英二さん同様、プロのバンド活動と学業の両立は難しく、7年かかって大学を卒業されています。
KILLER MAYが解散した1989年、先に加入していた弟の菊地英二さん(ドラム)についで、THE YELLOW MONKEYに加入しました。
THE YELLOW MONKEY結成当初、ベースの廣瀬洋一さん加入でそれまでベースを担当していた吉井和哉さんはギターに担当を変わり、そこにドラムの菊池英二さんが加わった状態で、実は他にボーカルを担当していたメンバーがいました。
元「SHOCK」というバンドのボーカルの松尾賢一さんと、ベースの吉井さんがTHE YELLOW MONKEYの初期メンバーで、そこにベースの廣瀬洋一さんが加わって・・・という流れなんだとか。
でも松尾賢一さんは、音楽性の不一致ですぐに脱退してしまいました。
そこでギター担当に変わった吉井和哉さんがボーカルに、不在となったギターのポジションにエマさんが加わったというわけです。
今となってはTHE YELLOW MONKEYにエマさん、アニーさんという菊池兄弟はなくてはならない存在ですし、エマさんのいないTHE YELLOW MONKEYは想像できないですよね・・・!
菊地英昭さんのバンドネーム・エマ(EMMA)は、色っぽい女の子っぽい名前がいいということで、フランス映画の「エマニュエル夫人」から取ったそうです。
エマニュエルというと、本場フランスでは通称「マニュ」と呼ばれることも多いんですが、「エマ」のところを取ったんですね。
エマニュエル夫人の「エマ」と思うと確かにちょっと艷やかな感じに思えますね。
THE YELLOW MONKEYのメンバ−4人の中で、唯一結婚していないと言われているのがエマさん。
結婚したとか離婚したとか子供がいるとか・・・噂はいろいろあるようですが、確実な情報はないようです。
THE YELLOW MONKEY解散後は、吉井和哉さんや吉川晃司さんのサポートメンバーをしたり、インディーズ・レーベル“Brainchild’s Music”の設立など精力的に活動されています。
THE YELLOW MONKEY(イエモン)解散の理由は?
2001年に活動休止し、2004年7月7日に惜しまれながら解散したTHE YELLOW MONKEY。
そもそも、解散の理由はなんだったのでしょう?
一般的に、バンドの解散というと、メンバー同士の不仲とか、音楽性にズレが生じたとか、そういった理由が多いですよね。
でも、THE YELLOW MONKEYの場合はメンバー同士の関係はそこまで悪化していた訳ではなかったようです。
活動休止までの数年間を振り返ってみます。
1997年
- 第1回のフジロックフェスティバルに参加。当時「ROCKIN’ON JAPAN」の邦楽アーティストの人気投票で1位だったにも関わらず観客の反応があまり良くなく、挫折感を味わう
1998年
- 7thアルバム「PUNCH DRUNKARD」が3作連続となるオリコン初登場1位を記録
- 1年間で113回のコンサートを行うツアー「PUNCH DRUNKARD TOUR」を実施(3日に1回ペース)
- ツアー中に計4枚のシングルをリリース
- シングルリリースに伴うレコーディング・PV撮影・TV出演
- 7月にイギリスでライブ
- 1999年に公開された映画「Trancemission」の撮影
- 9月9日の香川県県民ホールのライブ終了後に吉井和哉さんが過労で倒れて病院搬送
- アルバム曲中心のツアーは「失敗だった」と吉井和哉さんがツアー最終日に発言。洋楽志向からエンターテイメントに戻す意向を表す
1999年
- 年始最初の公演で音響スタッフが落下事故で死亡
- 3月の横浜アリーナでのツアーファイナルを吉井さんは後に「覚えてない。お客さんが見えていない」と語る
- 3日に1回公演を1年続けたこのツアーを「ひたすら打たれ続けてた感じ」と表現
2000年
- 「とにかくバンドを続けていくため、2000年はシングルを多くリリースする」と発言
- バンドサウンドを見直すため外部プロデューサーを導入するも、変化をもたらす指示はしてもらえなかった
- 8thアルバム「8」の楽曲のレコーディングでロンドンに滞在中、他のメンバーが忙しく吉井さんひとりでスタジオにこもることが多くなる
- ロンドンから帰国後、吉井さんが事務所に社長含む関係者を集め「俺をクビにしてくれ」と発言、バンドへの不満も口にした
- 7月にリリースされた22ndシングル「パール」、8thアルバム「8」は吉井さんのセルフプロデュース作品となり、ツアーも行われなかった
- 初の国内ロックフェスに参加するも、吉井さんはノーメイクでジャージ姿という格好だった
2001年
- 2001年1月8日に初の東京ドーム公演を行ったが、メンバーは大舞台にも関わらず淡々としていた。
こうして見てみると、THE YELLOW MONKEYの実質的リーダーでフロントマンである吉井和哉さんは、極度の疲労状態にあったのではないかと想像できます。
バンドの成功を続けなくてはならない、そのために曲を作ってライブをしなくてはならないという重圧と、必死にやっているのに観客から思ったような反応がもらえないというもどかしさ、そして身体の疲れ・・・。
もしかすると、心身の疲労が重なりすぎて鬱状態にあったのではないでしょうか。
活動休止したまま解散を迎え、吉井和哉さんは「メンバーは最高だから、別れるのは寂しいし、心細いんだけど、とにかく解散は僕の我儘で、僕の責任」と語り、他のメンバーは「吉井を追い込ませて、感情を吐き出させてやれなかった」「もっと力になってやりたかった」と発言しています。
「もっと気楽にやろうよ」というメンバーの考えを、「それじゃダメなんだ」と受け入れることができなかった吉井和哉さん。
音楽に対するストイックな考え方ゆえに、音楽を楽しめなくなってきていたのかもしれません。
THE YELLOW MONKEY(イエモン)再結成の理由は?
2001年の活動休止から15年。
今こうして再結成を果たしたTHE YELLOW MONKEY。
活動休止と解散を実質的に決めた吉井和哉さん自身、「このTHE YELLOW MONKEYは生涯解散することはありません」とこの先ずっと活動を続けることを宣言されています。
このタイミングでの再結成の理由は、大きく分けてふたつあると言われています。
ひとつは、印税のお話。
ひとつは、レーベル移籍のお話です。
バンドが解散した場合、解散してからも楽曲の印税は発生します。
しかし、解散から10年経つと印税収入がなくなってしまうのだそう。
そこで、解散してから10年以上が経ってから再び再結成し、再び印税を復活させるんですね。
この場合、仮にまた解散したとしてもカウントが戻るので、また10年は印税が入るという仕組みです。
もうひとつは、吉井和哉さんが2014年に日本コロムビア・TRIADレーベルへ移籍したことに関係しているという説。
TRIADレーベルは、THE YELLOW MONKEYがデビューから1996年まで在籍していた、いわば古巣のレーベルです。
そこに、ソロになった吉井和哉さんが移籍し、18年ぶりにTRIADからシングル「クリア」を発売するということで、TRIADでは「Welcome back to TRIAD」キャンペーンも行われました。
THE YELLOW MONKEYデビュー当時にレーベルに戻り、THE YELLOW MONKEYとしてもまた初心に帰ってやり直してみようかという気持ちが吉井和哉さんはじめメンバーのみなさんに芽生えたのではないかと言われています。
もともとメンバー4人はとても仲が良く、信頼関係もしっかりしていますし、15年経ってお互い歳をとり丸くなった部分もあると思います。
それぞれに15年間、ソロとして、他のバンドメンバーとして活動し、成長もし、またもう一度やってみようか、そしてもう生涯解散しないと思えたのなら、本当に素晴らしいことだと思います。
最近は邦楽を聞くには聴き放題ストリーミングサービスが良いです。
聴き放題サービスは数が多くてどれが自分に合っているかわからないという人が多いですよね。
邦楽をよく聴くならイエモンも吉井和哉さんも聴けるmusic.jpがコスパ抜群です。
月額が高い他のサービスと違い、曲やアルバム単位で課金するタイプですし、ポイントも大きくてお得。
30日間は無料お試しとなっています。
music.jpにはかなり詳しいアーティスト情報があってプレイヤーも良くておすすめですよ。
以上、今回はイエローモンキーについてでした。
年を経ても色褪せないどころか、円熟してかっこよさにも磨きがかかったTHE YELLOW MONKEY。
今度はちょっと気楽に、音楽を楽しみながら活動してほしいですね!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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